相続人に認知症の人がいる相続手続き:止まる場面と進め方の選択肢
相続人に認知症の人がいても、診断を受けたことだけで相続手続きができなくなるわけではありません。問題になるのは、遺産分割協議をするときに本人に意思能力があるかどうかです。意思能力がない状態でした協議は無効になりうるため(民法3条の2)、相続人全員の合意と押印が要る手続き(遺産分割協議、協議書による預金の解約や相続登記)はそこで止まります。進め方の選択肢は、①遺言があればそれに沿って進める、②全員の合意がなくても進む手続きを先に済ませる、③家庭裁判所に成年後見を申し立てて後見人と協議する、④一部を待つ、の4つです。
止まる手続き・進められる手続きの早見表
まず、何が止まり、何が進められるかを分けます。なお、家族が本人の代わりに署名する方法はとれません。
| 手続き | 認知症の相続人がいると | 根拠・注意 |
|---|---|---|
| 遺産分割協議 | 本人に意思能力がなければ協議に加われない | 民法3条の2。全員で協議する決まり(民法907条)なので、本人抜きの協議もできない |
| 協議書による預金の解約・払戻し | 止まる | 全国銀行協会の案内では、相続人全員の印鑑証明書などが必要 |
| 預金の払戻し制度 | 進められる | 各相続人が単独で、口座の残高×3分の1×自分の法定相続分、1金融機関150万円まで(民法909条の2) |
| 法定相続分どおりの相続登記 | 進められる | 法務局のハンドブックでは、相続人の1人が申請人になれる。ただし不動産は全員の共有のまま |
| 相続人申告登記 | 進められる | 相続登記の申請義務を果たす方法の一つで、単独で申し出られる |
| 遺言で受け取る人が決まった財産 | 進められる | その財産には協議がいらない |
| 相続税の申告 | 期限(10か月)は延びない | 分割がまとまらなければ法定相続分で申告し、配偶者の税額の軽減などは分割後に受ける |
この表のとおり、遺言がなく、預金や不動産を特定の人に分けたい場合に止まります。相続登記の義務が気になるときは、相続人に認知症の人がいる場合の相続登記の義務化で相続人申告登記の使い方を確かめてください。
協議に加われるかは「意思能力」で決まる
意思能力は、その行為をする時に、その行為の意味や結果を理解して判断できる力のことです。日本公証人連合会も、認知症と診断されても直ちに判断能力が欠けているとは評価されず、行為の内容ごとに判断されると説明しています。軽い物忘れがあっても協議の中身を理解できる人もいれば、遺産の額や分け方の結果を理解できない人もいます。
意思能力があるかは、家族が決めることではなく、医師の診断や、争いになったときの裁判所の判断で決まります。迷うときの確かめ方は次の3つです。
- かかりつけ医に、遺産分割の協議をしてよい状態かを相談する。
- 協議の中身(財産の一覧、誰が何を受け取るか)を本人に説明し、本人が自分の言葉で説明し直せるかを見る。
- 判断が難しい状態なら、無理に署名を求めず、後見の申立てに切り替える。
本人に一定の判断能力が残っていて、すでに保佐や補助の審判を受けている場合は、遺産の分割に保佐人などの同意が必要になる場合があります(民法13条1項6号)。
成年後見を申し立てて協議する流れ
遺産分割を進めるいちばん正式な方法は、家庭裁判所に成年後見(後見開始)を申し立て、選ばれた成年後見人が本人の代わりに協議に加わる方法です。後見人は本人の財産を管理し、本人を代表して法律行為をします(民法859条)。
- 申立ての準備:申立先は本人の住所地の家庭裁判所です。申立てができるのは本人、配偶者、四親等内の親族などです。家庭裁判所の書式の診断書、本人情報シート、戸籍謄本、住民票、財産と収支の資料を集めます(診断書などは発行から3か月以内)。
- 費用:申立手数料の収入印紙800円、登記手数料の収入印紙2,600円、連絡用の郵便切手(額は裁判所ごと)。鑑定をする場合は鑑定費用がかかります。令和7年の概況では、鑑定を実施したのは全体の約3.4%で、鑑定費用は10万円以下が約85.8%でした。
- 審理:家庭裁判所の調査官などが申立人や本人、候補者から事情を聴きます。令和7年の概況では、後見・保佐・補助などの事件全体で約71.1%が2か月以内に終わっています。
- 後見人の選任:候補者を申立書に書けますが、選ぶのは家庭裁判所です。令和7年の概況で、親族が選ばれたのは約16.4%で、司法書士や弁護士などの専門職が多数です。希望の人が選ばれないことを理由に取り下げることは、家庭裁判所の許可がなければできません。
- 協議:後見人は本人の意思を尊重し、心身の状態や生活に配慮する義務(民法858条)と、注意を尽くして事務を行う義務(民法869条・644条)を負います。そのため、本人の取り分をどう確保するかが協議の焦点になります。
子が後見人になり、自分も相続人でもある場合は、本人と後見人の利益がぶつかるため、家庭裁判所に特別代理人の選任を申し立てます(民法860条・826条)。後見監督人がいれば監督人が本人を代理するので不要です。申立てには遺産分割協議書の案を付けます。詳しくは成年後見人と遺産分割:特別代理人で説明しています。
後見人がつくと、相続が終わった後も本人の財産管理は続き、専門職の後見人には家庭裁判所が決める報酬を本人の財産から払います。この負担を知ったうえで申し立てるかを決めます。申立ての書類の集め方は成年後見の申立ての流れにあります。
- 遺言はあるか → ある:遺言に沿って名義変更(協議いらず)
- ない → 本人は協議の中身を理解できるか(医師に相談)→ できる:通常どおり協議
- 難しい → 急ぐ手続きはあるか(生活費・登記の義務・相続税)
- 急ぐもの → 払戻し制度・相続人申告登記・未分割での申告で対応
- 分割が必要 → 成年後見の申立て → 後見人と協議(利益相反なら特別代理人)
後見を使わずに進める選択肢と、その限界
後見を申し立てる前に、全員の合意がなくても進む手続きで当面をしのぐ方法があります。それぞれに限界があるので、表で比べます。
| 選択肢 | できること | 限界 |
|---|---|---|
| 預金の払戻し制度 | 葬儀費用や生活費の一部を受け取る | 1金融機関150万円まで。払い戻した分は遺産の一部分割とみなされる |
| 法定相続分どおりの相続登記 | 登記の名義を相続人の共有にする | 共有の家を売るときは共有者全員がかかわるので、認知症の共有者がいると同じ問題が残る |
| 相続人申告登記 | 相続登記の申請義務を果たす | 名義は変わらず、売却や担保には使えない |
| 遺産分割を待つ | 協議そのものに期限はない(民法907条1項「いつでも」) | 相続税の特例は分割後でないと受けにくい。相続から10年を過ぎると特別受益・寄与分の主張が原則できなくなる |
待つ場合も、相続税の申告期限と相続登記の義務は動いています。期限の全体は相続の期限一覧で確かめてください。
成年後見の制度は、2026年6月に成立した改正法で、後見と保佐を補助に一元化し、必要がなくなれば終了できる形に見直されます。施行は2028年12月までに、政令で定める日になる予定です(公布から2年6か月以内)。2026年10月の今、申し立てる人は現行の後見・保佐・補助で手続きします。改正の中身は成年後見とは?2026年改正の予定にまとめています。
親がまだ元気で、将来の相続人に認知症の人が出そうな家庭では、遺言を作っておくと協議そのものを減らせます。遺言の有無で手続きがどう変わるかは遺言書あり・なしの手順の比較で確かめられます。次は、手続き全体で使う書類をまとめた相続手続きの必要書類一覧に進んでください。
よくある質問
Q. 認知症の母の代わりに、子が遺産分割協議書に署名してもいいですか?
代わりに署名する権限がない限り、してはいけません。本人に意思能力がない状態でした協議は無効になりうるうえ(民法3条の2)、本人の名前を代わりに書くこと自体が争いのもとになります。本人が判断できない状態なら、家庭裁判所に成年後見を申し立て、選ばれた後見人が本人に代わって協議に加わる方法をとります。
Q. 遺産分割のために後見人をつけたら、相続が終われば後見も終わりますか?
今の制度では終わりません。裁判所の案内では、申立てのきっかけになった遺産分割などが済んでも、本人の判断能力が回復するか本人が亡くなるまで後見は続きます。2026年6月に成立した改正法では、必要がなくなれば終了できる仕組みに変わる予定ですが、施行は2028年12月までの政令で定める日の予定で、2026年10月時点ではまだ施行されていません。
Q. 相続人に認知症の人がいても、相続放棄はできますか?
相続放棄は家庭裁判所への申述で行います。本人が成年被後見人であれば、成年後見人が法定代理人として申述します。この場合、放棄を決める3か月の期間は、法定代理人が相続の開始を知った時から数えます(民法917条)。後見人がいない状態で本人に判断能力がなければ、まず後見の申立てが必要になります。
出典・参考にした公的な情報
- 民法 第3条の2・第13条・第826条・第858条・第859条・第860条・第869条・第907条・第909条の2・第917条(e-Gov法令検索)(デジタル庁)
- 後見開始(裁判所)(最高裁判所)
- 特別代理人の選任(成年被後見人等と後見人の利益相反)(裁判所)(最高裁判所)
- 成年後見制度の概要(裁判所)(最高裁判所)
- 成年後見関係事件の概況 令和7年1月〜12月(最高裁判所事務総局家庭局)(最高裁判所)
- 任意後見契約(日本公証人連合会)(日本公証人連合会)
- 預金相続の手続に必要な書類(全国銀行協会)(全国銀行協会)
- 登記手続ハンドブック(法定相続編)(法務局)(法務省)
- 民法等の一部を改正する法律(成年後見及び遺言の制度の見直し)(法務省)(法務省)
出典の確認日:2026-10-24。制度や受付条件は変わることがあります。手続きの前に、各窓口の最新の案内を確認してください。
この記事は一般的な情報で、個別の法律判断・医療的な診断をするものではありません。